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「自分がなにをしたいかわからない」
「自分がなにをしたいかわからない」。カウンセリングの中でこうした言葉をたびたび聞くことがあります。今回は、こうした言葉の背景にある事柄について考えてみます。
こうした言葉が聞かれるタイミングの一つが、当面の問題がとりあえず一息ついて、今後どうしようかと考える時だったりします。どうしたいかと本人の意思を確認しようと聞いても「わからない」という返答が返ってくると、支援者だったり周囲の人間は困ってしまいます。何度聞いても「わからない」と言われると、場合によっては、やる気がないとか、意思がないとか捉えられてしまうことがあります。これはそう答える本人もそうで、自分はやる気がないんだ、意思が弱い人間だ、そう思いこむことが多くあります。
「なにをしたいのか」と「なにをしたらいいのか」
しかしこの「自分がなにをしたいのかわからない」という状態は、知らず知らずのうちに、「なにをしたいのか」ではなく「なにをしたらいいのか」と考えてしまっているがために起きていることかもしれません。
「なにをしたいのか」と「なにをしたらいいのか」。この二つは言葉は似ていますが、内実はかなり違います。「なにをしたいのか」は自分の内側に問いかけるものですが、「なにをしたらいいのか」は外側への問いです。この二つを混同してしまうと、なにが自分の願望で、なにが他者の願望なのかわからなくなってしまいます。
「なにをしたいのかわからない」という状態になってしまったのは、今まで自分の外側から見つけたものを、あたかも自分の内側にあったかのように装っていたからかもしれません。しかし外側で見つけることができなかったからといって、今まで探してこなかったところから急に見つけてこいと言われても無理な話です。結果として、自分の願望を見つけることができず、困り果ててしまったと考えられます。
なぜ自分の願望を見つけられないのか
なぜ「なにをしたいのか」と「なにをしたらいいのか」が混ざってしまうのでしょうか。その一つの理由として考えられるのは、「なにをしたいのか」という意思が尊重されない環境の中で過ごしてきたのではないか、ということです。
例えば、親の顔色を常に窺わなくてはいけないような家庭環境がそれにあたります。「こうしたい」という子どもの意見を尊重せずに否定し続けたり、そこまで明白でなくても意に沿わない場合は不機嫌になるといった仕方で対応したり、あるいは家族のトラブルの調停者という役割を担わせられていたり、というものです。
こうした環境の中では、子どもは自分自身の意見を表明する力を伸ばすことができません。周囲の顔色を伺って「自分はなにをすべきか」ということを常に考えないと、生き残ることができないからです。いじめや嫌がらせが横行するような学校や職場、家庭で過ごさなくてはならないような場合でも、常に周囲の人間の様子や反応を見なくてはならないでしょう。
難しい環境の中で生き残るために適応をしていった結果、どこまでが自分が望むもので、どこからが他人から望まれたものなのか、その区別がわからなくなってしまうと考えられます。
対人関係における「忖度」
さらにここでやっかいなのは、こうした他人の願望を自分の願望として生き残るというやり方は、決して強要されたわけではなく、自分で選ばされてしまったということなのです。 「なにをしたいのか」と聞かれたときに「なにをしたらいいのか」と考えてしまうのは、いうならば対人関係における『忖度(そんたく)』をしてしまっている状態である、と言うことができます。
忖度という言葉は、もともと「相手の気持ちを考慮する」ことを指す言葉でしたが、政治問題のニュースをきっかけに「立場が上の人の意向を推測し、盲目的にそれに沿うように行動すること」という意味で用いられるようになりました。
ここで重要なポイントとしては、忖度は明白な上下関係を前提として生じるものである、ということです。これは対人関係における忖度も同じです。気づかないうちに自分を下で相手のことを上だと見てしまうがために、忖度は起こるのです。
「なにをしたいのかわからない」という人は、自分が誰かを忖度してしまっていないか、振り返って考えてみるとよいでしょう。気づかないうちに、親や世間など、従わなくてはいけないと思うような存在を前提として、物事を考えてしまっているかもしれません。忖度はした方(下)が「勝手にやったこと」とされてしまいます。された方(上)は決して責任を取りません。上のためにやったことがうまくいかなくても、下のせいにされてしまう。忖度はそうした損な取引なのです。
そして誰かに忖度した生き方は、非常に窮屈です。なにかをしようとするたびに、その人の許可を得なくてはならない!と考えて、そのことにエネルギーを使わなくてはならないからです。
自分の中の力に気づく
もしかしたら、子どものころにあなたは損な取引をしないと生き残っていけないような、そうした環境の中で過ごしていたのかもしれません。しかし今のあなたは違います。そうした損な取引に応じなくても、この世界を生きていく力があります。
自由に生きていくことができるという、自分の中にある力に気づくことで、そうした忖度をやめることができるのです。
自分の中にある力に気づくと、今まで誰かの許可を得るために使っていたエネルギーを、日常生活や自分の成長のために費やすことができるようになります。そうすることで、今まで自分でも思いもしなかった自分の可能性や価値が開かれていきます。それは誰かに求められて作り上げた、借り物の自分ではなく、地に足がついた等身大の自分になります。その中にあるのは、本当の自分自身の気持ちや欲求です。
忖度をやめ、自分の中の力にある力に気づくことで、「なにをしたいのか」が等身大の自分から立ち上がってくるのです。