精神科の病名について(4)

最近「私はHSPだと思う」「アダルトチルドレンなのか」「愛着障害とは何か」と言った質問をされることあります。ちょっと古くは「新型うつ病」という言葉がマスメディアを中心に取り上げられたりしました。しかし、こうした概念は、精神科の正式な病名ではありません。

・・・という話で終わらせず、ここではもうちょっと深めてみたいと思います。

今までは正式な診断基準の中に含まれる病名について述べてきましたが、今回は少し違った角度から考えてみましょう。こうした「診断名にならない」概念を、既存の精神医学を補うものとして存在しているものと捉えることで、その特徴を描き出そうという試みです。

診断名にならないもの①:診断基準の周辺部

よく精神科やメンタルヘルスで話題になるものの、「診断名にならない」概念はどのようなものなのでしょうか。まずはそれをいくつかのタイプに分けてみましょう。まずは定められた診断基準の周辺部にある概念についてです。

診断基準に満たないもの

まず、DSM・ICDなどで定められた疾患で、診断基準に満たないものが「診断名にならない」概念として広まることがあります。実例としては、「発達障害グレーゾーン」などがこれに当てはまると考えられます。診断基準に満たないからといって、それが困りごとや生きづらさの原因にならないということではありません。自分の背景にある特性や性質を知ることで、自己理解が進み対処法を身につけることにつながる可能性があるものとなります。

典型例から外れるもの

続いてあげられるのは、診断名には収録されているものの、その典型例とは異なるが故に新しい概念として提唱されるもののです。実例としては、「新型うつ病」がこれに当てはまると考えられます。研究や臨床が進む中で、ある疾患の中に様々なサブタイプがあることがわかってくることは珍しくありません。こうした概念は既存の診断基準を批判的に見直すことで、理論的な発展や治療論の確立に役立つ可能性があるものです。

エビデンスが不十分なもの

次は、エビデンスが不十分なために診断基準に収録されていないものです。この代表例としては「セックス依存」や「買い物依存」などの「行動嗜癖(アディクション)」になります。アルコールや薬物など物質への依存は診断名とされていますが、行動の依存症はそうしたものと同様の作用機序が存在するか不確かであるため、正式な診断名とされていません。しかしギャンブルに関してはエビデンスが蓄積されて「ギャンブル障害」として正式な診断名となったように、今後の研究によっては変化しうるものであるかもしれません。

かつて診断名として収録されていたもの

他にも、かつて診断名として収録されていたけども、そこから外れてしまったものもあります。DSMにおいては「広汎性発達障害」や「アスペルガー症候群」といった病名になります。また、この後にあげる「神経症」の概念も、ここにも当てはまるものとなります。研究が進むにつれて診断基準は変更されていくために、かつてあった病名が使われなくなることもあります。また、何を病気とするかは社会的な情勢にも影響されます。例えば「性同一性障害」などは、それを疾患とするかについては議論のある概念となっており、今後診断名として用いられることがなくなる可能性もあるでしょう。

診断名にならないもの②:病因論を採用したもの

続いて、診断システムそのものの特徴ゆえに生じてくる概念、というものがあげられます。精神科の病名について(3)精神医学の歴史(後半で述べたように、現在用いられているDSMやICDという診断基準では、疾患の原因を想定せずに、表面にあらわれた症状に基づき病名を分類しています。

しかし、疾患の原因から精神疾患を概念化することも可能なのです。精神科の病名について(3)ではそうした考え方を伝統的診断分類と紹介しました。その代表例が「神経症」であり、これはすでに述べた通りかつては診断名として収録されていましたが、現在ではDSMにその名前はないものとなります。

現在でも、疾患の原因から疾患を概念化しようという試みは研究者や当事者によってなされています。ここではそれらを指して、病因論を採用した概念とまとめることにします。

トラウマの影響から生じるとされるもの

病因論を採用した概念のうち、とりわけ重要になるのはトラウマの影響から生じた問題をまとめたものになると考えられます。DSMやICDといった診断基準においても、実は唯一の例外としてトラウマ由来の精神疾患は病因論の概念を採用しています。ここに含まれるのが、PTSD・ASD(急性ストレス障害)・適応障害、そしてICD-11における複雑性PTSDという診断名です。しかしこれらは例外的なカテゴリーであるため、それと診断されるためには明確なPTSD症状に加えて、トラウマの出来事がかなり重いものである必要があるのです(ちなみに適応障害の場合はちょっと事情が異なります)。

そのため、フラッシュバックなどの明確なPTSD症状がなかったり、トラウマの影響が強かったとしてもそれが診断基準を満たないものであったりした場合でも、病因論を採用して現在の不調や生きづらさを説明しようとするのであれば、そこに別の概念が必要となるのです。

こうした概念の代表例としてよく聞くものとして挙げられるのが、「愛着障害」「アダルトチルドレン」「発達性トラウマ障害」といったものになります。「愛着障害」は診断基準に収められているのですが、最近はより広い範囲を指し示すものとして用いられることがあります。「アダルトチルドレン」は元々はアルコール依存症の家族という当事者の生きづらさを指し示すものでありましたが、現在では機能不全家族で育ったことによって生じた問題を説明するものとして用いられています。「発達性トラウマ障害」はトラウマ研究者・治療家などによって提唱されている概念であり、PTSDや複雑性PTSDといったものをより拡張したものとなります。

こうした病因論を採用した概念は、操作的診断基準の弱点を補うものとして、自分の状態の理解であったり、回復へのアプローチを可能にするものであるといえます。

診断名にならないもの③:その他

他にも診断名にならない概念はいっぱいあります。それも、ある程度カテゴリー化することは可能であると思われます。

まずは当事者の生きづらさの表現として生まれた概念があります。例えば上にあげた「アダルトチルドレン」もそうですし、それに付随した「毒親」なども当事者の苦しさを表現しうる概念として用いられています。この後に挙げる「HSP」もここにも含まれると思われます。

また既存の概念を別の概念に言い換えたものも存在すると考えられます。この代表例としては「HSP」「HSC」が挙げられると思われます。とりわけ「HSP」は広まりつつある概念ですが、このサイトで詳しく述べられているようにずいぶん本来の意味から離れて用いられているというのが現状のようです。少なくともその一部は、既存の概念で説明されていたことを言い換えたものであるように見られます。より当事者にとって受け入れやすいものとなっている代わりに、本来対処すべき問題から目を逸らしてしまう危険性もあると考えられます。

その他にも、アスペ、ボーダー、メンヘラなどSNSやインターネット掲示板で使用される概念も存在しており、ここに含めることも可能でしょう。これらは元々の概念が一人歩きしたものであり、差別的なニュアンスで用いられることも少なくありません。しかし、社会的な偏見を助長しかねないものであり、その安易な使用は咎められるべきものであると感じます。

「診断名にならない」概念は取扱注意!

ここまで述べてきたように、「診断名にならない」概念は既存の診断基準ではカバーできない範囲を補うものとして機能しうるものであると思われます。その反面、どこまでも概念が拡張してしまい、どんな人でも当てはまるようなものになってしまう可能性もあります。エビデンスに由来しないがために「言ったもん勝ち」になってしまう危険性があるのです。

まとめるのであれば、「診断名にならない」概念は、医学の外を超えて広がり得るものであるからこそ、功罪が発生すると言えるでしょう。

まさに「取扱注意」のものとして、支援者も当事者も扱っていくべきものではないかと思われます。

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