これまで、何がトラウマとなるのか、そしてトラウマ記憶とは何か、ということについて述べてきました。
次にトラウマがもたらす影響について述べていきます。症状の細かいところについて話す前に、少し大雑把に捉えるところから始めましょう。
「ホットな」トラウマ記憶と「クールな」トラウマ記憶
トラウマ記憶がいつまでもその人の中に留まり続けることで、さまざまな影響が生じることになります。ここでちょっと話をわかりやすくするために、単純化してトラウマ記憶を「ホットな」ものと「クールな」ものに分けて考えてみましょう。
「ホットな」トラウマ記憶とは、それが強くてそのまま保持されているようなものです。この「ホットな」トラウマ記憶があることで、PTSDの診断基準に記載された症状が生み出されます。具体的には、再体験、過覚醒、回避と呼ばれるようなものたちです。
また「ホットな」トラウマ記憶が複数、繰り返して生じることで、複雑性PTSDの症状が生み出されることになります。具体的には、感情の調整障害、自己概念の変化、対人関係の障害といったものになります。
今まで述べてきたトラウマ記憶の特徴は、この「ホットな」トラウマ記憶のものであると言えます。狭義な意味で「トラウマ記憶」を捉えるのであれば、この「ホットな」ものだけとなりますが、もう少しその範囲を広げて考えることもできます。
それが「クールな」トラウマ記憶です、それは、ホットなトラウマ記憶が姿を変えたものとして捉えることができます。この「クールな」トラウマ記憶は、再体験、過覚醒、回避といったPTSD症状を目立って生じさせるものではありません。ですがそれは感情の調整障害、自己概念の変化、対人関係の障害といった、複雑性PTSDに見られるような症状を、部分的に生み出すものとなっているのです。
通常の状態のイメージ
もう少しイメージを深めていきましょう
私たち人間は、常に自分の周わりの環境との相互作用の中で生きています。外から入力されてくる情報に対して、感情、思考、イメージといったものが「こころ」において展開します。またこの「こころ」には、今までの自分が経験してきた「記憶」と、過去の自分の反応パターンの集積である「自己イメージ」も影響します。外部からの情報のインプットに加え、記憶や自己イメージを「こころ」に集積して用いることによって、周囲に合わせた行動を取ることができるのです

PTSDのイメージ
しかし「ホットな」トラウマ記憶がそこにあると、この状況は変わります。「ホットな」トラウマ記憶は、「今・ここ」にある現在の環境と変わらない強さの存在感を持っています。そのため「ホットな」トラウマ記憶が活動的になると、「こころ」には現在だけでなく、トラウマが起きた瞬間の事柄の情報も入力されることになるのです。
イメージとしては、「ホットな」トラウマ記憶とは、熱いマグマのようなものです。それが噴火したのであれば、慌てて身体はそれに対応しようとしてしまうのです。現在の自分が周囲の環境だけでなく、トラウマ記憶にも適応しようとして生まれるのが、「再体験」「過覚醒」「回避」といったPTSDの症状ということができます。
PTSDではこうした「ホットな」トラウマ記憶は、心の中で異物として存在しているだけになります。この状態であれば、それを取り除くことにより、正常な状態に回復していくことが期待できます。しかし次にあげる二つの場合、なかなかそうはいきません。

複雑性PTSDのイメージ
複雑性PTSDとは、「ホットな」トラウマ記憶が複数、繰り返し生じることにより、さらにその影響が深く、そして広くなった状態だと捉えることができます。
マグマの喩えを使うのであれば、熱いマグマが何度も何度も噴き出すことによって、それが他の範囲にどんどん飛び火し、さらにはもともとあった他の地盤をも変化させてしまうというイメージです。そのため、複雑性PTSDでは、「ホットな」トラウマ記憶が活動的になった時に生じるPTSD症状に加え、「感情の調整障害」「自己概念の変化」「対人関係の障害」といった、広範囲に渡るさまざまな症状が生じることになるのです。
こうした複雑性PTSDが与える影響の中心が、「基本的信頼感」となります。この基本的信頼感については、この後の記事でもう少し詳しく触れたいと思います。

発達性トラウマ障害のイメージ
「ホットな」トラウマ記憶を熱いマグマとするのであれば、「クールな」トラウマ記憶とは、かつて吹き出したマグマが冷えたものとイメージできます。それはもともとあった地盤とくっつき、普段はそれと気づかない形で存在しています。
この「クールな」トラウマ記憶は、今は温度が下がったものであり、再体験、過覚醒、回避といったPTSD症状を目立って生じさせるものではありません。ですがそれは周囲のものと融合し、さまざまなところに存在するものとなります。そのため「クールな」トラウマ記憶の影響は、PTSD症状というよりも、「感情の調整障害」「自己概念の変化」「対人関係の障害」といった、複雑性PTSD症状に似たものとしてみられます。
PTSDないしは複雑性PTSDと診断されるためには、「ホットな」トラウマ記憶の影響が明確になくてはなりません。そのためこうした「クールな」トラウマ記憶の影響は、双極性Ⅱ型障害、ADHD、境界性パーソナリティ障害、あるいは解離性障害などその表現系によって捉えられるのです。ただしここではトラウマが背景に生じるものであるとして、正式な診断名ではありませんが、発達性トラウマ障害と呼ぶことにします。
この「クールな」トラウマ記憶は、やはり基本的信頼感に負の影響を与えるものである、ということができます。またこの「クールな」トラウマ記憶は、再び活性化することがあるというのも特徴です。つまりなんとか誤魔化して日常生活を送ることができていたとしても、きっかけがあると「ホットな」ものとして蘇ってくることがあるのです。

この後ですが、まずは「ホットな」トラウマの影響として生じることになるPTSDの症状について触れていきたいと思います。その後、トラウマが基本的信頼感に与える影響を述べた上で、複雑性PTSDの諸症状について解説し、最後に治療法について述べていきます。