基本的信頼感とトラウマ

前回の記事では、「ホットな」トラウマ記憶によって生み出されるPTSDの症状について、詳しく述べました。

ここからは複雑性PTSDの症状について説明していきますが、その前にトラウマによって脅かされる「基本的信頼感」について説明したいと思います。

基本的信頼感とは

基本的信頼感は、人が安心して生きていくためにとても大切なものです。社会で生きていくにあたり、人はそれぞれの時期で乗り越える課題があると言われています。一番最初の、生後12ヶ月で乗り越える課題が「基本的信頼感」です。生まれて間もない無力な赤ちゃんは、大人から色々なお世話をしてもらいます。泣いた時に気にかけてもらったり、楽しい思い出を共有したり、身辺のお世話をしてもらうことで、「この世界って優しいな。自分はお世話をしてもらう価値のある人間なんだな」という感覚が生まれていきます。

この感覚こそが、基本的信頼感です。

基本的信頼感は、人格を作り上げていく土台となります。「きっとこの後にはいいことがあるし、私は大丈夫だ」と思えるからこそ、私たちは保護者から離れ、不確かな世界に自分を押し出していくことができるのです。この世界の大部分は、自分ではない「他者」です。基本的信頼感があると、「他の人間は自分にとって悪いものではない」と思え、友達や恋人など、他者との親密な関係を築けるのです。基本的信頼感は、生後12ヶ月の時だけでなく、その後の人生においても大切な部分なのです。

基本的信頼感が失われるとき

基本的信頼感を獲得しても、打ち砕かれる場合があります。

それが、死をおびやかされるような災害や事故、性被害を含む犯罪被害などのトラウマ体験です。自分の安全や命をおびやかされる経験をすると、世界や他者が安全なものであるという感覚が失われることがあります。そして、自分は他者から阻害されている、自分は無力で無価値である、というイメージで心がいっぱいになることがあります。

そうなると、他者と適切で穏やかな人間関係を築くことが難しくなります。いつ自分が傷つけられるのかわからないため、常に周囲を警戒しなくてはなりません。この人は敵か?味方か?ということで頭がいっぱいになります。相手を信頼することが難しく、表面上のやりとりで関係性が終わったり、「この人の優しさには、何か裏があるかも」と勘ぐって親しくなれなかったり。そういったハードルを乗り越えても、基本的信頼感が不安定なままだと、一度親密になっても、穏やかな関係を続けることは難しく、不安定になりやすいと言われています。

また、人格を作り上げる土台である基本的信頼感が失われてしまうと、その土台の上に作り上げられていたものも崩れてしまいます。親からの自立をめぐる葛藤や、自分は何者かなど、幼少期や思春期に乗り越えてきた様々な課題をもう一度築き上げていかなければなりません。

心にぽっかり穴があき、世界の中で自分を失ってしまったような孤独感に支配されてしまいます。基本的信頼感という世界に対するポジティブなイメージを失うことで、代わりにこの世界は残酷であり、自分は生きるに値しないという感覚が現れるのです。

基本的信頼感とPTSD、複雑性PTSD、発達性トラウマ障害

それでは基本的信頼感はこれまで見てきた、PTSD、複雑性PTSD、発達性トラウマ障害といった概念とどのように関わるのでしょうか。

一回限りのトラウマの出来事だとしても、その衝撃が大きいのであれば、やはり基本的信頼感は脅かされます。しかしながら、元々の基本的信頼感がしっかりとある場合は深刻な脅威となることは少なく、むしろ基本的信頼感はPTSDからの回復を助けるものとなります。

問題は、トラウマとなる出来事が複数回、長期間に渡って繰り返された場合です。こうした時、基本的信頼感は粉々に打ち砕かれることになります。複数回、長期間に渡って繰り返されるような複雑性PTSDでは、PTSDにはみられないような症状が出現することになるのですが、その理由の大きな理由は複雑性PTSDにおいては基本的信頼感が損なわれた状態だからである、ということができるでしょう。

その中でも基本的信頼感により深刻な結果をもたらすのは、児童虐待がある場合です。

虐待がある場合は、そもそも基本的信頼感を持つことができません。そうなると世界と自分への不信が基本の状態となります。このことは幼少期からの人格形成に深刻な影響を与え、(正式な診断名としてカテゴリーされるような)愛着障害という診断にまとめられる行動や情緒の問題として発展する場合が多く見られます。また明らかな虐待がなかったとしても、子どもの人格の成熟を促すためには、ケアをする大人はその力を適切に使う必要があります。大人の方がはるかに強力であるにもかかわらず、大切にされ尊重されることで、子どもは自分には価値があると思うことができます。

そうした経験ができない、いわゆる「不適切な養育」をされた子どもは、やはり基本的信頼が失われた後と同様の問題が生じてしまいます。ここまで述べてきたように、そうした問題は発達性トラウマ障害と呼ばれるようなものとなります。先に発達性トラウマ障害の諸症状はPTSDよりも複雑性PTSDと共通点が多いと述べましたが、それは基本的信頼感への脅かしという点が共通するからであると考えられます。

参考文献

ジュディス・L・ハーマン 中井久夫訳(1999)心的外傷と回復(増補版) みすず書房 

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