Contents
自己概念の変化
複雑性PTSDの症状と問題として、続いて取り上げるのは自己概念の変化です。自己概念とは、私たちが自分自身について抱くイメージや考えを指すものです。複雑性PTSDの診断基準の中で、自己概念の変化について次のように書かれています。
自分は取るに足らない、打ち負かされた、または価値がないという持続的な思い込み。これには、ストレス因に関する、深く広範な恥辱感、罪責感、または挫折感が伴う。たとえば、不利な状況から逃げられなかった、または屈してしまったこと、または他の人の苦しみを防げなかったことに関して、罪責感を感じることがある
これも少しわかりにくいので、噛み砕いて説明していきます。繰り返しトラウマを負った人の自分自身について抱くイメージに、どのような変化が生まれるのかについて考えて見ましょう。
トラウマの影響
トラウマとなるような災害や事件は、われわれを圧倒するものです。そうした出来事の渦中においては、多くの場合どうすることもできません。そのためトラウマの後には、自分が打ち負かされたという感覚が残ってしまうのです。自分はちっぽけでとるに足らない存在で、役立たずだという思いがいつまでものこることになります。
とりわけ対人関係におけるトラウマ体験では、加害者に抵抗できなかった、なんとかしようとしたが結局うまくいかなかった、といった経験をすることがあります。そうなると「こんなことになったのは自分のせいだ」「こんな自分は恥ずかしい存在だ」というような感情で心が塗りつぶされてしまうこともあります。自分は汚れてしまっており、もう取り返しがつかないと感じてしまうことがあるでしょう。時には、もはや自分は死んでしまっているという思いにとりつかれてしまうことすらあります。
また生き残ったとしても、災害や事件の中で関わった他の被害者に対して、助けられなかったり、利用してしまったことで深い罪悪感を持つことがあります。これはサバイバーズギルトと呼ばれ、その後の人生が「うまくいく」ことを阻むような感情や行動を生み出してしまうこともあります。
トラウマを負ったことは自分のせいではなく、またつらい目にあって当然な人はいません。その出来事の中でとった行動も、どうしようもなかったはずです。そのことは頭ではわかっていたとしても、トラウマを負った後には心に自分自身の否定的イメージが刻まれてしまうのです。
加害者の悪を取り込む
幼少期に虐待や不適切な養育があった場合、さらに自分自身の否定的イメージが固定化しやすくなるということがあります。
子どもにとって、大人は絶対的に力があり、逆らうことができない存在です。そうした存在から暴力を振るわれたり、支配的な扱いをされたりしてしまうと、子どもはどうしようもありません。児童虐待は加害者だけでなく、その周囲の大人や社会システムなど複雑な要因から生じるものですが、子どもには責任がないことが100%言い切れます。
しかし、この「どうしようもない」状態を子ども自身が認めてしまうと、まさに「どうしようもない」のです。それは子どもにとって、生きる希望が断たれることと同義になります。
そのため子どもは、希望を残すために「大人ではなく、自分が悪いのだ」と思い込むようになるのです。自分がもっといい子になれば、もっとがんばれば、ちゃんとすれば、きっといいことがある。時折報道などで虐待死した子どもが残した悲痛な手紙やノートが報道されますが、どれも「自分が悪い」という記述がみられます。その背景には、こうした心理的プロセスがあるのです。
精神科医のハーマンは、これを「加害者の悪を取り込む」と述べています。その結果、自分を「普通の人間関係に入れない人間」と思い、自分は汚れた、世をはばかるものだという自己概念を身に着けてしまうのです。こうした自己概念は、その場を生き残るために必要なものであったのですが、取り込んでしまった自己否定感は根強く、大人になっても対人場面を中心にさまざまな問題が生じる原因となります。
自己概念の変化によって引き起こされるもの
トラウマや幼少期の体験によって否定的な自己概念が植え付けられてしまうと、さまざまな行動や対人関係上の問題が生じやすくなります。それが及ぼす影響は非常に広いものとなりますが、その中でもいくつかをあげてみましょう。
自傷行為や依存から抜け出しづらい
とりわけ虐待や不適切な養育を経験した人には、思春期以降にリストカットや過食嘔吐などの自傷行為や、薬物やアルコールなどに対する依存(嗜癖)が必発といっていいほど起こります。
ストレスコーピングの文脈から見ると、自傷行為や依存は情動焦点型コーピングの一つに位置づけられます(参考:悩みを話すことの大切さについて)。問題なのは、それが自分を傷つけたり健康を害するという点です。そのため、自傷や依存から抜け出すためには、より適切な方法に置き換えることが必要です。
しかしながら、虐待や不適切な養育を経験した人は、この置き換えがなかなかうまく行きません。ちゃんと自傷行為や依存が悪いということがわかっているにもかかわらず、です。むしろ、悪いとわかっているからこそ、自傷行為や依存を継続してしまうのです。
この一見矛盾した行動は、否定的な自己概念が背後にあると考えるのであれば、理解することができます。つまり「自分が悪い」という罪悪感が背後にあるために、自分に対する攻撃として自傷や依存が生じているのです。
自分を自分で罰することによって、自分自身が低い存在であることを確認して、ホッとする。これが自傷や依存の背後にあるがために、健康的な方法への置き換えがうまくいかなくなってしまいます。こうした人の支援を行う場合、背景にこうしたメカニズムがあることをしっかりと理解することが大切となります。
何かをやり遂げても自信にならない
何かをやり遂げたり、大きな成功を得たとしても、それを自分のものとして自信を持つということが困難となる場合があります。これはインポスター症候群(Impostor syndrome)として知られていますが、幼少期に虐待や不適切な養育を受けたことがその原因となる場合があります。
先に述べたように、虐待や不適切な養育によって「加害者の悪を取り込む」ことを行った場合、子どもは自分は汚れた、世をはばかるものだという自己概念を身に着けてしまいます。しかしその中でも一部の人は、そうした自分を振り払おうと、一生懸命勉強をしたり、あるいは仕事に懸命に打ち込んだりすることで、結果として社会的な成功を得ることがあります。
しかしながら子どもの頃に心の奥底に刻まれた否定的な自己感は、そうした社会的成功によっても満たされることはありません。そのため常に空虚感を抱えたり、周囲を騙しているような感覚を持ってしまうことになるのです。
その背景には、本当に承認されたいのはありのままの自分である、という心理が隠されています。しかしその一方で、ありのままの自分はダメな自分であるから愛されるわけではない、とも強く思っています。この矛盾する二つの心理が成り立つ結果として、何かをやり遂げても自信を持つことができないまま、虚しさや焦りをいつまでも抱えてしまうことになるのです。
犠牲を受け入れてしまう
ほとんどの人は、普段の生活の中で「何もしなくても、私には他の人から尊重される価値がある」と感じています。しかしその一方で、トラウマとなるような被害を受けたり、幼少期に虐待や不適切な養育を受けている人はそうは思えません。「何もしていない自分には価値がない」と強く感じるようになってしまいます(参考:基本的信頼感とトラウマ)。
そうなると他人と関わる際、何か不利益を被ったり、あるいは誰かに支配されたりするような関係になったとしても、「こんな自分なのだから仕方ない」と傷つきを甘受してしまいます。相手からの要求がどんなに理不尽だとしても、自分は低い存在だからと、犠牲を受け入れるようになってしまうのです。
たとえ対等な人間関係を結ぼうという人が表れても、自分から突き放してしまうこともあります。損得勘定の働いていない人間関係は馴染みがなく、落ち着かないものとして経験されてしまうために、よりはっきりと見えるような上下関係を求めてしまうのです。結果として、繰り返し暴力や支配の関係に巻き込まれてしまうことになるのです。その背景にも、否定的な自己概念の変化が影響していると考えられます。
参考文献
ジュディス・L・ハーマン 中井久夫訳(1999)心的外傷と回復(増補版) みすず書房
白川美也子監修(2019)トラウマのことがわかる本:生きづらさを軽くするためにできること 講談社