トラウマからの回復

回復とは何か

今まで、トラウマとは何か、その影響はどんなものか、どのような症状が現れるのか、そしてその治療法はどのようなものかということについて述べてきました。最後に、トラウマからの回復について述べたいと思います。

あえて治療と回復を分けたのは、もちろん意味があります。治療というのは、なかなか難しいものがあります。時間もお金もかかりますし、またどんな治療もそうですが、100%治るということは(とりわけ精神疾患においては)ありません。また、たとえ治療がうまくいったとしても、その先の道のりが長いということも、とりわけトラウマ関連疾患の場合は少なくなりません。

ただし、どんな時でも回復は目指すことができます。そしてその回復の道のりは、どんな人でも支えることができるのです。

回復の前提となるもの:安全性の確保とエンパワメント

まずは回復の前提について確認しておきましょう。最初に必要となるのは、安全性の確保です。

いかなる治療、いかなる回復も、心身の十分な安全が確保されていないことには始まりません。まずは自分の身体的な安全の確保が必要です。睡眠、食事、運動といった基本的な健康ニーズを満たすことや、物質乱用などの不適切な行為をなるべく少なくすることが求められます。同時に環境的な安全の確保も進めなくてはなりません。安心できる生活環境の樹立、経済的安定、移動の自由といったものが必須になります。

そして同じくらい重要になるのは、自分自身に力があるという感覚の獲得、つまりエンパワメントです。

トラウマの本質は被害者の無力化と、人生の成り行きを制御できなくさせることにあります。そのため治療の原則は、エンパワメントと自己制御を取り戻すことになります。これは回復する本人が自らの回復の創出者であり、決定者であるということを徹底的に尊重することでもあります。他者はアドバイス、サポート、慈しみやケアを提供することはできますが、誰しも究極的な救済を授けることはできないのです。どれだけ本人にとって当面の最善の利益になると思えても、力を奪うような介入が行われてしまっては、回復を達成することはできないのです。

穏やかな人間関係を持つこと

トラウマを負った人の回復の到達点については、多くの治療者や当事者の言葉を整理すると、以下の二つにまとめられるように思います。

まずは、穏やかに人と繋がりを持つことであると考えられます。すでに述べたように、トラウマは基本的信頼感を打ち砕き、それは対人関係の障害を生み出します。結果としてトラウマが背景にある人たちは、人間関係の中で孤立がどんどん深まってしまいくことになります。しかし、ながらここにはあるジレンマが存在します。それは、人間関係で負った傷は人間関係の中でしか修復されないということです。

私たち人間は、社会的な生き物です。どこかで誰かとつながらないことには、生きていくことができません。しかしトラウマを負った人たちの人間関係は、搾取される側と搾取する側、食うか食われるか、上か下か、支配か従属かというような、パワーゲームの舞台になってしまっています。そうした関係においては、トラウマの再演がいつ繰り返されてもおかしくはありません。

目指すべきは、対等な人間関係を構築することです。しかしトラウマを負った人は信頼するという能力が損なわれているがゆえに、人に頼ることがとても難しかったり、自分に近づく人には不純な理由があるのでは、と考えて遠ざけてしまったりして、どうしても人間関係が不安定となってしまいます。対等な人間関係とは曖昧で予測が難しいがために、非常に強い不安を呼び起こすものです。これは日常生活でも、経験ある治療者との間でも、避けられないものとして生じます。

まずはこうした不安定さが人間関係の中で生じてくること、そしてそれは自分の責任ではなくトラウマが引き起こすものであることを、理解することから始めなくてはいけません。信頼は万能の誰かが授けてくれるものではありません。何度も訪れる危機を乗り越えていくことによって、徐々に信頼の貯金を少しずつ貯めて再建されるの築かれるのです。とりわけ傷ついた経験が多ければ多いほど、つまり複雑性PTSDの人たちは特に、基本的信頼感の再建は難しいです。そうした人たちには、なるべく多くの味方がいることが大切になります。

不安や曖昧さに耐え、対等で穏やかな人との繋がりを持てるようになることが、トラウマからの回復の条件であり、また目標となるようなものになります。

平穏な日常生活を送ること

そして次は、平穏な日常生活を送ることであると考えられます。トラウマは緊急事態であり、そこを切り抜けるためにはさまざまな「曲芸飛行」を身につける必要があります。ですがそうして身につけた曲芸飛行は、トラウマが終わった後の「日常」を生きるには向きません。結果として、「その後の不自由」として、トラウマが背景にある人は穏やかな日常生活を送ることが難しくなってしまうのです。

トラウマから抜け出すために送る生活というのは、アップダウンが激しいジェットコースターのようなものです。正の感情も負の感情も強力であり、いつの間にかそこに囚われてしまっていることも少なくありません。しかし、過去を否定することなく、等身大の自分で生きれるようになるためには、地に足がついた生活を送ることが必要です。

このような穏やかな人間関係の構築、そして平穏な日常生活を送ることは、決して一度達成したらそれで終わり、というものではありません。むしろこれは行ったり来たり、進んだり後戻りしながら、徐々にその人の生活の中に染み込んでいくようなものであると考えられます。中井久夫先生は回復について、「里に下りること」であると表現しています。トラブルは続くけども、その合間に現れる穏やか日常がだんだんと増えていく。そしてその中で楽しみを味わう能力を持つことも、トラウマからの回復において目標となるのです。

支援を受ける方も支援をする方も、焦らず無理のないペースでゆっくりと進めていく必要があります。

トラウマは決して消えない傷ではありません。時間はかかるかもしれませんが、プロセスの中で回復は可能になっていくものなのです。

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